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How to keep me motivated.

  • 2007/03/09(金) 18:32:08

さてさて久々のコラムです。
色々書きたいことはあるんだけど、なかなか自分の中でまとめきれてないところもあったりして…そのテーマにしても、個人的なところから普遍的なもの、どれをとってもセンシティブな内容が多くなりそうなので、なかなか明文化するには至らず。
もっと文才磨く必要ありですな。

まあそんな中でも最近よく思う、よく聞かれることに対して思うところがあったんで今日はそこを書いていこうかな。

今までバスケをしてきた中でよく聞かれるのが、
「どうやってモチベーションを持続させるのか?」
って質問なんだけど、俺なりの考えを幾つか。

俺はいわゆるエリート街道を進んできたワケではないから、周りからすれば、
「なんでそこまでバスケに没頭出来るのか?」
っていう質問を何度も何度もされてきた。
ま、普通に考えればそうだよね、日本じゃバスケで生活出来る環境は物凄く限られてるし、そこに辿り着けるのは本当に数少ないプレイヤーのみ。
そしてそこに辿り着くには、小さい頃から全国でも有名だったヤツがなりやすい、ってこともあるしね。
チームは決して強くない、プレイ自体も独特を通り越して異質(笑)、そんな人間がどう頑張ってもバスケじゃ生活出来るワケない。
普通に考えればその可能性は高いだろうね。

けど、それは他人の考えで、俺の考えではない。

俺がバスケを始めたのは小3の時、そして本気でバスケで生活しようと思ったのは小6の時。
それまではバスケは遊びの延長みたいなものだったんだよね、なぜかフックシュートばっかり練習したり、なぜかシュートだけは左手でうってみたり。
…今思えば相当不思議な子だったわ(笑)。

じゃあなぜ真剣に取り組むようになったかっていうと、バルセロナオリンピックでドリームチーム観たからなんだよね。
当時の自分にとってはものすごい衝撃的な出来事で、それを観て以来、
「絶対将来NBAでプレイするんだっ!」
と心に決めたものです。
それからは、バスケといえばアメリカっていう図式が基本にあった。
NBA関係の雑誌は飽きるほど読んだし、観るゲームはほぼアメリカのもの。
よく言われる日本人らしくないっていうのは、そこから来てるんじゃないかな?

それからはそれこそ狂ったようにバスケしてた気がする。
自分の中では、
「NBAでプレイする」
っていうことは「将来の事実」として出来上がってるから、そこに辿り着くために、やった方が良いと思ったことは何でもやるようにした。
そのどれもが良い結果を出したワケではないけど、悪い結果が出たら出たなりに学ぶものもあったから…まあ結果オーライかな(笑)。

だから自分のモチベーションを説明すると、「将来の事実を現実化するための準備」と言えるのかもしれないね。
最近よく言う例えがある。
小さい頃の自分にとって、「遠足」ってものすごく楽しみなものだったと思うんだよね。
遠足が決まった瞬間からドキドキワクワク、行った先にどんなことが待ってるのか、行くまでにどんな楽しみが待ってるのか…。
でも、遠足に行くにはやらなきゃいけないことはたくさんある。
荷物のパッキング、お弁当をつくってもらう、おやつを買いに行く…普通に暮らす分には別に必要のない、余計なことなのかもしれない。
けど、それが自分の楽しみのためにやるべきことだとしたら、進んででもやろうとするもんじゃない?
遠足に行くまでの全ての過程が、楽しくてやり甲斐のあるものに思えると思うんだよね。

俺にとっての遠足は、「NBAでプレイすること」。
俺にとっての遠足の準備は、「NBAに行くためにする、あらゆる準備」。
どんな練習も、どんなゲームも、どんなトレーニングも、俺にとっては楽しいもの以外の何物でもない。
そりゃあキツイ練習もあるし、なんだか気分が浮かない日もある。
けど、そんな中でもふとした瞬間にはもうバスケがしたくなってるんだよね。

今現在は足の調子やトライアウトまでのスケジュールを計算して練習してるから、動きたくてもあえてセーブするところはある。
早く身の振りを決めて、思いっきりバスケしたいな!
それが今の「モチベーション」かな?

とまあ今回はダラダラ書いちゃったけど(苦笑)、これからはもうちょいコラムも増やしていこうと思いまっす。
何か意見やら何やらあったら、気軽にコメント残して下さいね☆
ではでは☆

人生に苦難は付き物だ。
その苦難には、不屈の勇気を持って立ち向かえ。
それを乗り越えた時、本当の喜びが君を待っている。
~シラー

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Thank you for inspiring me.

  • 2006/09/02(土) 22:53:00

先日、俺の大学の先輩でもあり、同じくNBAを目指す同士でもあった藤野素宏選手が、basketball playerとしての現役引退を表明した。
本人のblogと、早稲田で俺の同期だった松角翔吾のblog(ともにLINK先にあり)に詳しく載っているので、興味がある方はそちらを覗いてみて欲しい。
今更彼の引退についてあれこれと述べるのはあまり好ましくないように思われるので、俺が感じた彼への思いについて、今日は書こうと思う。

前にも何度か書いたが、俺は高校を卒業するまで、全くの無名校にいた。
「いかにして自分のplayでteamを勝利に導くか?」
長年その考えの元にplayしていた結果、個人のskillでは突出するものの、teamの一員としてのskillが極端に欠如するという、なんともいびつなplayerになっていた。
そして入学した早稲田大学。
全国でも名のある学校から推薦で入ってきたplayerの中で、俺のplayは一層いびつに見えたに違いない。
実際、練習中には幾度となく怒られた。
今思えばそれもまた良い思い出の一つなのだが、当時の自分からしてみれば笑い事ではなく、
「1on1なら誰にも負けないのに…。」
そんな思いを抱えたまま、日々の練習を過ごしていた。

そんな中、俺に興味を示してくれた数少ない先輩の中の1人が、藤野君である。
後期のseasonが始まる前の夏休みの頃、一人で自主練をしていた俺に1on1をしよう、と誘ってきた。
結果は詳しくは覚えてはいないが、良い勝負をしたように思う。
後日、ある先輩から、彼が俺の1on1を褒めていたというのを聞いた。
正直、鳥肌が立つくらい嬉しかった。
彼は当時不動のstarting member、かたや自分はbenchに座ることすら出来ない一年坊主。
そんな自分を評価してくれるとは、予想だにしていなかったのだ。
俺が覚えている限り、大学に入って一番最初に嬉しかったことだ。

彼のplayには、華があった。
いつでも冷静にgameをcontrolし、周りに的確なassistをし、何よりも素晴らしいDで相手のoffenseを寸断する。
自分とは全く真逆のplaystyleに、憧れすら覚えた。
今でこそある程度はDも出来るようになった俺だが、当時のskillは全然未熟。
彼のようなDを手に入れたくて、練習中からずっと彼の動きを目で追っていたのを覚えている。

卒業後、俺がAmericaに挑戦することに関して多くのadviceをくれたのも彼だった。
一足先にAmerica・ABAでproとして活動していた彼のadviceは、どれも自分にとって役立つものばかりだった。
playにしろ考え方にしろ、今でも参考にしていることばかりだ。

今思うと、彼はいつでも俺の進む先で何かを成し遂げていたように思う。
その姿に刺激されて進んできたからこそ、今の自分は存在している。
彼が次に、どんなstageに進むかは分からない。
だが、きっと今までのように彼らしいやり方で、結果を残していくだろう。
次に会う時は、俺も俺なりの結果を残し、彼も彼なりの結果を残し、お互い今よりも成長した姿で、再会したいと思う。

お疲れ様です、また会う日まで。

One,
1ST

前向きのススメ。

  • 2006/05/24(水) 23:50:37

今日は久々にcolumnを書きたいと思います☆ここんとこず~っと日記だったからね、たまには指向を変えまして。
何か物事が起こった時、みんなはどう反応しているだろうか?
良い事が起こった時には、喜ぶ。
悪い事が起こった時には、悲しむ。
単純なことから複雑なものまで、生きてる間は何でも起こり得るよね。でも、目の前の事象に毎度毎度心のあり方を変化させていては、小なる「我」のみの存在にならないだろうか?良い事に喜ぶならまだしも、悪い事が起こった時に毎回悲しむのは、自分の心をnegativeな方向に向けやすくしてしまわないだろうか?
そう考えるきっかけになったのは…まあ色々あるんだけどね。すごい身近な例を挙げるとすれば、最近の天気だよね。なんだかはっきりしない、心まで滅入ってしまいそうな天気。でも、その事象に囚われて日がな一日negativeに暮らすのって…なんかもったいなくない?
それなら、何でもpositiveに捉えてはどうだろうか?悲しいことや嫌なことがあった時、その事象を自分に課された「課題」と考え直すことは出来ないだろうか?そして、その「課題」を克服しようとする気持ちに、楽しみを見出してはいけないだろうか?
俺は今までそうやってplayしてきた。上手くいかなかった時、自分の課題にぶち当たった時…確かにその瞬間は悔しいし、苦しい。でも、その課題を越えた先に何があるかと思うと…ワクワクしない?その先を見てみたくない?
これは私生活でも一緒だよね☆良い事ばっかりなワケじゃない、悪い事だって起こり得る。でも、その悪いことにビクビクして暮らすよりも、「あえて」その困難に立ち向かいたい。そして、それを克服した自分に会いたい。
ちょっと色々考えさせられる日々があったので、今日はこんな事を書いてみました☆playだけじゃなく、もっと私生活でも向上心を持っていかなくちゃっ!
頑張るぞ~っ!
ではでは今日はこの辺で☆

諸行無常

One,
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Team playとは?

  • 2006/03/04(土) 01:08:53

「あいつにteam playは出来ない。」
「自己中心的な選手。」
今まで何度も言われてきた言葉。これからも何度でも言われるかもしれない。でも、俺は彼らに問いたい。
「team playって何?」

先日、同期の友人から聞いた言葉。前まで俺が所属してたteamのcaptain曰く、
「あいつは変わり者だから。1on1の世界選手権があれば上位に食い込むだろうけど、バスケはteam playだから。」
本当に本人が言った言葉かどうかは知らない。そんな事はどうでも良い。けど、多分teammateの大半は思ってただろうと思う。じゃあ、俺は彼らに問いたい。
「だから、team playって何?」

Team play。その名の通り、teamでplayすること。それが団体競技の醍醐味であり、肝とも言える。強いteamにははっきりとそれが見て取れるし、上でやっていくためには欠かせないものだと思う。では、そのteamの中の個人個人を結びつけるものは何なのだろうか?
俺は、「信頼」だと思う。あいつならこうしてくれる、という「信頼」。それが究極に高まった時に、teamとしての「輪」が生まれるんだと思っている。
じゃあ、「信頼」するにはどうしたら良いか。多分俺の場合はここの定義が違うために、周囲との軋轢が生まれやすいんだと思う。
俺は、「信頼」は「与えられて然るべきもの」ではなく、「勝ち取るもの」だと思っている。自らが自らの力を示すことで、周りからの信頼を勝ち取る。その上でしか、真の「team play」は成り立たないと信じている。
だってそうだろう、shootが全く入らない人間にpassが出せるだろうか?
passを受ける予備動作をして欲しいと、何度も言っているにも関わらずやろうともしない人間に、passが出せるだろうか?
もっと頭を使ってplayしようと言っても、指示に従うことしか出来ない人間に、最適な選択が出来るだろうか?
答えは、「NO」だ。
出来ない人間にやらせるくらいなら、いくら厳しい状況でも俺はshootを打つ。passが出せないんだったら、俺は自分で攻める。shootを打ちたいからじゃない、1on1をしたいからじゃない。勝ちたいからだ。
だが、周りはpassを出せと言う。passを受ける努力をしない人間に、頑張ってpassを出せと言う。coachが出した指示には、いくら難しい状況でも従えという。それをteam playって言うだろうか?
答えは、もちろん「NO」だ。
pass一つとっても、出す方は受け取りやすいように、受ける方は出しやすいようにするのが本当のpassだろう。何か動きをするのなら、各個人がideaを持って動いて、そこで出てくる問題に全員で対処するのがteamだろう。そうやって全員で磨き上げていくのが「Team play」だろう。
そうじゃない、皆で仲良くballを分け合って、coachの顔色伺いながらplayするのがteamだと言うのなら、俺は喜んで脱ける。そんなクソみたいなplayを続けた先に、俺の目指すものは無い。
何が本当に正しいものだったのか。俺は自分の身で、自分の正当性を証明してみせる。
さようなら、もう二度とあなた達とplayすることはないだろう。

燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや

One,
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I am what I am. (1)

  • 2005/11/17(木) 12:16:21

みんなは「自分の世界」って持ってるかな?持っているならそれはどんなものだろうか?
確固たるもの?あやふやなもの?自発的なもの?他発的なもの?自分本位なもの?他者あってのもの?
色々あると思う。同じものなんて1つもない、自分と丸っきり同じ人間がいないのと同じにね。俺やみんな、1人1人が今まで生きてきた中で経験したもの、考えたものから生まれたその人なりの「常識」が、その人の「世界」だよね。
何で突然こんな話をしたかというと、最近この「世界」を認識させられる出来事がいくつかあったからなんだ。そこで、俺が日々生活していく上での物事の判断基準をここでいくつか話したいと思う。それを知った上で、「自分の世界の常識」と照らし合わせてもらえたら、と思う。そこから何か新たな「世界」が見えてくるかもしれないしね。
俺は自分が矛盾していると感じることが多々ある。それは行動の矛盾じゃなくて、概念の矛盾。行動の矛盾は…まあ無いとは言い切れないけど(苦笑)、それでも極力しないようにはしてる。矛盾した行動ばっかりしてたら誰にも相手にされなくなっちゃうからね。
そうじゃなくって概念として考えた場合に、俺の中には矛盾が「共存」してる。好きだけど好きじゃない、欲しいけど欲しくない、やりたいけどやりたくない…挙げてくと全くきりが無いけど。どうしてそう考えるかというと、物事は多面的に捉えてこそ本質が見えてくると思うからなんだ。最近の考え方っていうのはものすごく二面的過ぎると思わない?白か黒か、勝ちか負けか、好きか嫌いか。たしかに二面的に考えた方が物事うまくいくことはたくさんある、それは確かなこと。でも、「全ての物事が二面的に解決出来るわけではない」っていうのも確か。余りに二面的な考え方に慣れすぎると、いざそれが通用しなくなった時にどうしようもなくなる。ちょっと例をあげてみようか。
「1+1=2」
これはその通り。でも、
「2=1+1」
とは言えるだろうか?二面的に考えたら「YES」だけど、多面的に考えたら「NO」と言わざるを得ない、かな。だって「2」を導き出すには他にも色々な公式が成り立つでしょ?
「2=3-1」、「2=2×1」、「2=√4」…数学的に考えただけでも無限に近い組み合わせがある。もっと他の概念も取り入れたら、
「2=A君とB君」、「2=two」、「2=○○」…。何でもありなんだよね。であるはずなのに、どうだろうか。俺やみんなの周りに、「1+1=2」を見て、「2」は「1+1」のみであると考えてる人はいないだろうか。俺の周りにはい~っぱいいるよ、物事の1面だけを見て、それがあたかも揺るぎようの無い真実だと思い込んでる人間が。そしてそういう人間に限って、その欠陥した考えを他人にも押し付け、適用させたがるんだね。
はっきり言って、迷惑。
ここで言いたいのは、そういう人たちとは付き合っちゃいけません、ってことじゃないよ。ただもっと、理論的に考えるだけじゃなく、感じることが出来るようになって欲しいと思う。そうしないと成長出来ないと思うし、成長の無い人生など…生きる価値もない。
これは俺の「世界」の一端に過ぎないし、これもまた、1個人の考え方に過ぎない。このtitle、「I am what I am.」の時は、他にも俺が気づいた何かを文章にして載せていこうと思う。異論反論、大いに結構。そこから何かが生まれるなら、それもまた1つの「成長」です。質問あれば随時受け付けるので、遠慮なく。
ではでは☆

One,
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